ベティーズ(Bettys)とテイラーズ・オブ・ハロゲイト(Taylors of Harrogate)の関係

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(画像:http://www.visitharrogate.co.uk/より)

 

「ベティーズ(Bettys)」に訪れると「テイラーズ・オブ・ハロゲイト
(Taylors of Harrogate)」の紅茶が販売されています。

「これはベティーズの紅茶だよ」

と知人のイギリス人は説明してくれるのですが、

「それだったら『ベティーズ』ブランドで販売すればいいのに」

としばしば感じました。

でも、ベティーズの歴史を探ってみると、その理由がよく分かります。

 

「テイラーズ・オブ・ハロゲイト(Taylors of Harrogate)」の始まり

 

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(画像:http://www.taylorsofharrogate.co.uk/より)

 

1866年、ヨーク(York)で生まれたチャールズ・エドワード・テイラー
(Charles Edward Taylor)は、兄のルウェリン(Llewellyn)のつてで
紅茶商の「Ashby」で従事することになりました。

ロンドン市場で取引を任される頃には、その地域の水に合った
紅茶のブレンド方法などの知識を得ていましたが、とある問題が起こり
Ashbyから解雇されることになってしまいました。

チャールズの兄は、顔に泥を塗ったチャールズを咎めることなく、
むしろ、資金を提供し、個人でビジネスを始めることを提案しました。

チャールズの父は、リーズ(Leeds)でビジネスをするよう勧め、
自身が働いていた地域でチャールズの事業を紹介しました。

そして始まったのが「C. E. Taylor & Co.」でした。

父の支援があったにも関わらず、チャールズのビジネスは難航しました。

そこで目をつけたのが、ヨークシャーの「スパ・タウン(温泉地)」であった
ハロゲートとイルクリー(Ilkley)でした。
(現在、この2つの街は高級住宅街が多いです)

ホテルや温泉が多く並ぶこの地域では、コーヒーやお茶の需要は高かったのです。

チャールズは、ハロゲートのパーラメントストリート11番、
イルクリーのザ・グローブ32番に「キオスク・カフェ」を開きました。

毎日、窓辺でローストされるコーヒーの香りは行き行く人びとを魅了しました。
土地の水に合った紅茶をブレンドしたのも成功の鍵であり、
そして、店に訪れた人たちが紅茶やコーヒーを試飲してから購入できるよう、
特別なスペースも設けました。

チャールズはその後、ヴァリーガーデン(Valley Gardens)内のティー・ハウス、
ロイヤル・バス(Royal Baths)内のウィンター・ガーデンズ(Winter Gardens)、
そしてロイヤル・スパ・コンサート・ルームにもビジネスを展開していきました。

このような女性受けするサービスに目をつけたチャールズは、
さらに2店舗増やすことにしました。

1つはイルクリーに、もう一つは、現在、ハロゲートのベティーズ(Bettys) が
ある建物に「カフェ・インペリアル(Cafe Imperial)をオープンさせました。

しかしながら、戦争が始まったため、チャールズのビジネスはまた難航しました。
その頃、兄のルウェリンの2人の息子たちがビジネスに参加しました。

 

「ベティーズ(Bettys)」の始まり

 

フレデリック・ベルモント(Frederic Belmont)は、
スイスからやってきた菓子・チョコレート職人。

若い頃に両親をなくし、施設で育ったフレデリックの最初の仕事は
ベーカー(パン職人)でした。

意外にもベーカー(パン職人)としての才能を開花させたフレデリックは、
菓子職人・チョコレート職人としての訓練を積みました。

フレデリックと同じような経験を積んだスイスの職人たちは、
イギリスの高級ホテルで職を得るために渡英することが多く、
フレデリックも後に続きました。

しかし、英語も話せないフレデリックにロンドンという土地は偉大すぎました。
そのため、フレデリックは北のヨークシャーを目指したのです。

ヨークシャーでの彼の需要は大変なもので、時にはスイスのお菓子を作り、
時にはビジネスマンとして働き、そしてハロゲートのお土産の
菓子ブランドとして有名なファラ(Farrah’s)の従業員たちに
お菓子の作り方を指導したりしました。

そして、フレデリックは下宿先の娘であったクレアと結婚しました。
二人は、クレアのおばから資金の援助を受けて、
カフェ「ベティーズ(Bettys)」を開きました。

フレデリックがなぜ「ベティーズ(Bettys)という名前をつけたのか?
それは現在でも謎のままです。

「ベティーズ(Bettys)」はチャールズのビジネス
「カフェ・インペリアル(Cafe Imperial)」の真正面で開始されました。

フレデリックの繊細で美しい菓子と、クレアのヨークシャーの
フレンドリーで温かいもてなしは、ベティーズを成功に導きました。

 

共通の問題を抱えることに

 

ところが、1930年に入ると、チャールズもフレデリックも
「後継者がいない」という共通の問題を抱えることになりました。

フレデリックとクレアに子供がいないだけでなく、
チャールズの2人の甥たちにも子供がいませんでした。

そのため、チャールズは甥の妻側の甥であるジム・ラレー(Jim Raleigh)に、
フレデリックはスイスに住む甥のヴィクター・ワイルド(Victor Wild)を
ビジネスに参入させることにしました。

二人ともロンドンでトレーニングを積みました。

ジムはチャールズと同じように茶商の「Ashby」で、ヴィクターは、
高級ホテルの一つである「クラリッジ(Claridges)」で訓練を受けました。

その後、ハロゲートに戻りビジネスに取り掛かったものの、
第二次世界大戦後の影響で経営が難しいものになりました。

1960年代、ベティーズははチャールズのビジネス
「テイラーズ・オブ・ハロゲート(Taylors of Harrogate)」を買い取りました。

そのため、かつて「カフェ・インペリアル」があった場所に
現在の「ベティーズ」があるのです。

「カフェ・キオスク」「カフェ・インペリアル」を手がけたチャールズと、
「ベティーズ」を手がけたフレデリック。
もしも、この二人が存在しなかったら、現在のハロゲートは随分違っていたでしょうね。

「テイラーズ・オブ・ハロゲイト(Taylors of Harrogate)の紅茶は、
イギリス全土だけでなく、アメリカ、オーストらリア、日本でも人気です。
中でも、「ヨークシャ・ティー(Yorkshire Tea)は、
ヨークシャー内の地域の水の特徴に合わせてブレンドを変えているため、
ヨークシャー内だけでなくイギリス全土で好まれています。